2013年10月4日金曜日

ハバロフスクの住人たち・1



舞台に向うジバエードフさん



アーティスト編・1

「ウラジミール・ジバエードフ

*国立ハバロフスク交響楽団専属ソリスト(バリトン)
*ロシア連邦功労芸術家





私が初めてジバエードフさんにお会いしたのは、展覧会オープニング・セレモニーの最中でした・・・・

通訳のリョーコさんよりご紹介頂きます。

「こちらは歌手で俳優のジバエードフです。私の夫です。」
「これよりジバエードフから、タカハシさんに歌をお贈りいたします。」




・・・・引き込まれました。私は普段より「優れた歌い手(芸術家)は、一瞬でその場の空気を一変させ、独自の世界を創り上げる」と思っているのですが、ジバエードフさんの歌はまさにその極みのように感じられました。



「Profile」

1949年、ロシア・ウラル地方に生まれる。
幼い頃から音楽好きな両親のもとでクラシックや民謡に親しむ。中学時代、しばしば街のアマチュア楽団に招かれ、近郊で催されるコンサートで歌う。

’68年より、2年間、海軍通信兵として、ウラジオストク、カムチャッカで兵役に就く。
父親の望む技術者への道を拒否し、音楽を選ぶ。

’75年、国立クラスノヤルスク芸術専修カレッジ・ミュージカル・コメディー科卒業と同時に、国立クラスノヤルスク・ミュージカル・コメディー劇場で音楽活動開始。




’70年代の終わりにはソリスト=ヴォーカリストとして数々のオペレッタの主役を演じるようになる。劇場の長期公演では、モスクワ、レニングラード(現サンクト・ペテルブルグ)をはじめ、旧ソ連構成国のほとんどの主要都市で公演、高い評価を受ける。

’86年、ウクライナのチェルノブイリ原子力発電所爆発事故直後の被害地で公演、被爆。長期入院を余儀なくされ、一時は音楽活動を断念したが、奇跡的に回復し、舞台に復帰。




’90年、カザフスタンの国立カラガンダ・ミュージカル・コメディー劇場を経て、ロシア極東の国立ハバロフスク・ミュージカル・コメディー劇場に、主演を演じるソリストとして招かれる。ハバロフスクではオペレッタのレパートリーをさらに広げ、また、ペレストロイカ以後盛んになった「マイ・フェア・レディー」他、欧米のミュージカルにも出演。一方、国立ハバロフスク芸術文化大学で教鞭をとり、教え子を世に送り出す。また、自らも同大学を卒業する。

’96年、国立芸術文化大学の卒業生による民族楽器アンサンブル「アクワレリ」と共に、ジバエードフは初めて日本の土を踏み、「城ヶ島の雨」や「荒城の月」など、日本の歌をうたう。

’97年、ロシア連邦功労芸術家の称号を授与される。




’98年、再び来日し、東京や群馬で文化交流コンサートに出演。
ジバエードフは極東の優れた音楽家を日本の人々に紹介しようと、「アムールの音楽家たち」を結成。
この年以降、毎年日本を訪れるようになり、多くの人々との出会いが始まる。

’99年、自らの被爆体験からこの夏催された「セミパラチンスク(カザフスタン、旧ソ連核実験場)支援チャリティーコンサート」に女優・吉永小百合さんの朗読と共に出演。秋には劇団俳優座の女優・岩崎加根子さんと「ロシアの歌と詩の集い」で共演。
ロシア極東の優れた音楽家たちと共に来日し、北海道から広島まで数十回におよぶコンサートに出演。子供たちやロシア音楽を愛する多くの人々と出会う。

’05年、極東を代表するソリスト(ピアノ)であり、ジバエードフの最も力強いパートナーでもある、V.ブードニコフと共に、音楽劇「ボリス・ゴドゥノフ」や「人間と犬の会話」など、次々と独創的で新しいコンサートを開拓。
30年の節目をむかえて、ジバエードフはコンサート活動にますます意欲を燃やしている。



「2005年芸術生活30周年記念リサイタル」プログラムより抜粋




「芸術生活30周年記念 バリトン・リサイタル」より








「ジバエードフ・リョーコ夫妻のご自宅へ」

ジバエードフさんとリョーコさん


「ハバロフスクに来てから、日本食なんて食べていないでしょう!?」
「おにぎりとお味噌汁くらいしか出せないけど、よかったらウチへいらっしゃい。」

と、リョーコさんよりとても嬉しいお申し出を頂き、後日お言葉に甘えお邪魔させて頂く事となりました。(日本食も嬉しいのですが、何よりもそのお心遣いが、また”家庭”に招いて下さった事が本当に嬉しかったです。)


当日、約束の時間前にジバエードフさんが私たちを迎えに美術館まで来て下さいました。

美術館からご自宅までは、歩いて行けない距離ではないそうですが、本日はバスで移動します。(乗車賃はどこまで乗っても15ルーブル*約50円)

「何を話しているのでしょう?・・・」

「・・・ロシア語、話せないはずなのに。」

公園で遊ぶ子供たち。長かった夏休みももうすぐ終わりです。

途中、木々の茂った小道へと入っていきます。(近道なのでしょう)

ジバエードフさんの後ろ姿、まるで”童話の世界”です。



ご自宅へ到着。

猫ちゃんがお出迎え?

リビングへ通して頂くと、そこにはリョーコさんお手製の嬉しい”日本食”がすでに準備してありました。おにぎりも3種の具が用意され、具沢山のお味噌汁に肉厚の鮭、他にもチーズにハムに野菜にと、ハバロフスクに来て一番の豪華ランチです!

「いただきます!」

禁酒中のジバエードフさんはクワスを。そしてお酒の飲めない私は、リョーコさんお手製の自家製ジュースで「乾杯!」(これがまた美味しい!)

禁酒中のジバエードフさんはクワスを。そしてお酒の好きな(?)妻は、ハバロフスクで作られたご当地ウォッカで「乾杯!」

リョーコさんが「今日は女性陣だけで飲み明かしましょう!」と、妻と二人でウォッカを酌み交わすのでした・・・


部屋の壁には息子さんのステファン作「熊虎」の書が貼られています。「熊(ツキノワグマ)」と「虎(アムール虎)」はハバロフスク市の紋章(市章)にも描かれています。

ハバロフスク市章



美味しいお料理を頂いた後には甘いものが。このキャンディーは、ジバエードフさんが子供の頃から、味は勿論パッケージ等も一切変らず現在も販売しているそうです。(そういう物っていいですね)

食事も終わり、コーヒーを飲みながらのんびりと「ロシアでの生活」、「リョーコさんのこと」、「ジバエードフさんのこと」、etc いろいろなお話を聞かせていただきます。

「なるほど!という話」、私たち日本人からすれば「ウソのようなホントの話」、「かなりショッキングな話」と、全てのお話を興味深く聞かせていただきました。


・・・ギターの音が聞こえてきます。
ジバエードフさんがギターを手に取り歌い始めました。

一曲歌い、また一曲。少しお話、また一曲。(なんて贅沢な時間なのでしょう!)

リョーコさんが言います。

「本当にこの人は、歌っていれば幸せな人だから」

4曲ほどロシアの歌をうたって頂いた後に、日本の歌を・・・



日本の歌は久しぶりに歌うのでしょう。リョーコさんに指導されています!?(失礼ながら・・・何か可愛いです!)



ジバエードフさんの歌声に、そっと目を閉じ耳を傾けています。

現在創作中の「子供たちのための舞台劇」の練習を始めるジバエードフさん。ノートも可愛いですね!

楽しい時間はあっという間に過ぎていきます。
窓の外が明るいので気が付きませんでしたが、すでに時計は21:00を指しています。
「美味しい日本食」、「興味深いお話の数々」、「ジバエードフさんの素敵な歌」・・・
おかげさまで本当に楽しい時間を過ごすことができました。
また1つ一生忘れないであろう思い出が増えました。
ありがとうございました。


1つ、リョーコさんのお話のなかで、特に忘れられない言葉があります。

「ハバロフスクに来て、もう20年以上が経ちます。それはそれはいろいろな事がありました。時にはどうしようもなく、やりきれない思いになったりもします。・・・・だけどそんな時、ジバエードフの歌を聴くと、”まあいいか〜”と不思議と思えてくるのです。」




行きはバスに乗って来ましたが、帰りは歩いて帰る事にしました。


外へ出ると、そこには美しく幻想的な空が広がっています。(21:30)

ハバロフスクの夏は日照時間が長いため、夜の9時頃までは明るいのです。しかし陽が傾き始めると一気に暗くなります。明るいうちに「ちょっとお茶でも」とカフェに入り、小一時間して外へ出ると、いきなり”夜”になっていることもありました。


夜22:00のアムールスキー通り。大通りには街灯がありまだ良いのですが、アパートの近くは真っ暗になってしまいます。
ハバロフスクに来て早々に、「遠くへ行く時には、空を見ずに”時計を見て”行動した方がいいですよ」とアドバイスして頂いた意味がわかりました。


22:15、無事帰宅。





「ジバエードフさんの舞台へ」


9月1日(月)
この日、極東美術館のお隣り「極東シンフォニー・オーケストラのコンサート・ホール」にて、ジバエードフさんが出演する舞台が行なわれました。



極東美術館のお隣り「コンサート・ホール」

開演直前。




「ある日の美術館にて」

♪ Rock'n'roll ♪





いつでも彼は穏やかに微笑んでくれました。そしてリョーコさんのおっしゃるように、いつでも歌を歌っている時、幸せそうに見えました。

人として、芸術家としての、あるべき姿を見せていただきました。






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